日本の介護業界の問題点は、介護が肉体労働だってことです。

ヤフーニュースで「障害女性の生きづらさ」という記事を読んだのですが、同性介助がされていない実態や配慮の無さが取り上げられている中、ふとコメント欄を見ると「体力的筋力的に男手が必要なのは仕方がない」という残念なコメントで溢れかえっていて、少しだけ語りたくなりました。



仕事としての介護は「肉体労働」「人手不足」「低賃金」と多くの改善点を抱えています。でも一番の問題は、これらの問題が障害となって、障がい者が自分らしく生きていくことの権利を邪魔することなんです。言ってしまえば「体力的筋力的に男手が必要なのは仕方がない」という意識自体が、障がい者のバリアとなっているわけです。


障がい者、という表現は「障がいを持っている人」「障がいのある人」と理解されがちですが、それは違います。障がい者にとっては「ちょっとした段差」や「介護業界の現状」や「健常者の意識(健常、という表現も含め)」こそが障害なのです。


話を本筋に戻すと、介護における「肉体労働」は、機械を導入することで軽減することが可能です。既に海外では導入されてますし、試しに一度「介護 リフト」でググってみて下さい。日本の介護はマンパワーに頼りっきりなので、こんなものもあるのかってビックリしますよ。


しかしながら、そうした設備を現場に導入するにはやはり資金が必要で、そのためにお金を出すのは難しい、というのもやはり現状としてあるわけです。「必要性は重々承知しているが、家族などの自助努力やボランティアなどの社会資源を活用して欲しい」と国はいい、ご家族への負担も増えていくばかり。本当に、頑張っていらっしゃるご家族の方には頭が下がります。


この社会は資本主義社会ですから、大抵の物事はお金によって解決できてしまいます。だからといって、障がいの種類や程度など大きく幅のある「障がい者」という表現の中で、皆が一定以上の賃金を稼ぐ方法を見つけ出すのは難しい(マネタイズすることは可能かも)。


だから、もし何かを変えられるとしたら、それは「肉体労働」という価値観ではないかなと思うのです。かなり無茶を言っているかもしれませんが、例えば盲導犬盲導犬が行っていることは「肉体労働」でしょうか。訓練を受け、障がい者の目となる盲導犬は単なる道具ではなく、良きパートナーです。


勿論、仕事としての介護が必要なことも重々承知してます。ただ、介助者と利用者という単なる物質的な関係ではなく、精神的な繋がり、信頼関係があって欲しい。そしてもっといえば、そういう信頼関係が赤の他人とも繋がって欲しいと思うんです。


例えば、高い棚の上に取りたくても取れないものがあった時、それに気がついた誰かが声をかけてそれを取ってくれる。ものを落とした時「落としましたよ」と声をかけてくれる。それは決して「労働」ではなくて「善意」もしくは「思いやり」もしくは「当たり前のこと」だと思います。


みんな、自分のことで精一杯で他人を見ようとしないからこそ、他人を見ることができる人は貴重です。僕は案外、障がい者の方が他人を見る目があるんじゃないかなと感じてます。


ちょっと語りすぎましたので黙ります。