はてな村定点観測所の観測 ― 正解ルートはどこにあるのか

id:netcraft さんの記事を呼んで思うことをつらつら。

 

詩人の種田山頭火はこう言っています。

 

「家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は砂漠である、と思わざるを得ない。親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。」

 

なんだか、自分自身も身につまされる思いです。ボードレールは結婚を人生の墓場だ、なんて揶揄してましたが、とにかくひたすらに思うのが、人が二人で生きていくことって難しいことなんだなと。いっそ生物学的な目的に立ち返って、恋愛も結婚も「生殖のためだ」と割り切ってしまうのもアリなんですが、「社会的動物」たる私達にとって、そう生きていくことはたやすいことではないのです。はい。

 

 

まぁ、結婚や離婚は他人がとやかく言う問題ではないですが、それでも敢えて突っ込みを入れるのであれば「もうちょっとお互いに折り合いをつけることはできなかったのかな」と思うのです。

 

「歩み寄る」「思いやる」「許容する」「諦める」などなど、そこには色々な言葉が当てはまります。ですから、「相手を変えようとする」のではなく(多くの場合、それは失望に変わります)「相手のために自分が変わる」そういう覚悟であったり、困難すらも共に歩み、あわよくば楽しもうという気概を二人が持っていれば、また違った未来があったのではと考えてしまいます。

 

ですがやっぱり、例え、相手のためを思った発言や行動であったとしても、当人にとっては踏み込まれたくないような不可侵な領域に侵入されてしまい、それが負担になることはあります。ただ、ポイントはそこに対して、お互いがどう認識していたか。そして、どういう方法をとってきたかです。

 

「絶対に野菜から食べなきゃダメ」という言葉を、「野菜も一緒に食べようね」と言い換えられていたら

「深夜の牛丼は、月に1、2回に抑えてね」と歩み寄れていたら

「妻の涙を拭き取る」のではなく、「妻を泣かせない」ために行動できていたら。 

 

無論それは、今更言ってもしょうがない話でもありますが。

 

冒頭の種田山頭火の言葉に戻りますが、人間には100パーセント相手のことを理解することは不可能です。でも、だからこそそこを埋めていく楽しさがあったり、もしくはある意味では、「良い距離感」が生まれるのではないでしょうか。

 

これを読んだあなた。どうか正解ルートを見つけてください。それだけが私の望みです。